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NO.7
三 猿

坪田先生の授業は、いつもクラス全員の子どもが参加する、活気溢れる内容です。今回は、その秘訣とも言える授業者の態度についてのお話です。

ノーベル賞受賞者の白河英樹氏の言葉によれば、最近の学生は学力が低下したというより好奇心が無くなっているという。
それは、一に、不思議を感じた物の蓋を開けてもその仕組みが解明できないものばかりになったからだ。
クラスの腕白に電卓を分解した子がいた。好奇心旺盛であった。だが、その中を見ても、どうやって計算しているかわからなかった。入っているのは小さなチップだけ。蓋を閉めるとき表示窓の偏光グラスを反対にして、俺のは数字が白くなったと威張っていた。精々そのくらいの満足だ。
二に、映像教材の出来過ぎが挙げられる。
ただ見るだけで、わかったつもりになる。実物に触れ、操作することがないから、頭でわかっても体感できない。
三に、教える体系の出来過ぎ。
学校の先生が教科書の展開マニュアル通りにやればまずまずの授業が可能だ。しかし、子どもには失敗もなく、試行錯誤もない学習の押し売りだ。果たして、正しいことのみ与えればいい学習といえるか。好奇心に駆られて自ら学び続ける子が育つのか。
日光東照宮に三様の姿をした猿の像がある。猿に「ざる」をかけて、「見ざる、聞かざる、言わざる」の意を寓した。
正しい知識だけを「伝達」することに力む授業者はこれに似る。
マニュアル通りの授業では、自由な質問も、好きに考えることも許されない。勝手に自分の考えをノートに書く子がいて、ちらと見ても、予定外であれば知らぬふり。また、子どもの自然なつぶやきや質問に対しても、これまた無視に近い対応となる。子どもの発する価値ある言葉や、発見にも驚きの言葉やほめ言葉はない。これは「見ざる、聞かざる、言わざる」状態そのものだ。これではいけない。
授業はもっと自由で生き生きしたもの。だから、ノートの端には面白いことも書いてある。それを見つけて拡げるのが授業者だ。予定した指導案に書かれない発言もある。つぶやきもある。思わぬ発言に価値を認め、大いにほめて、なにゆえそれがいいのか言う。
「見逃さず、聞き逃さず、言い逃さず」。
これが、創造型授業者の態度だ。これは、家庭における親の態度についても同じであろう。