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NO.14
育てる

今回は、「なぜ」を自らの問いにする子どもを育てることについてのお話です。
エッセイの最後に、問題の証明のPDFがあります。
PDFを見る前に問題に挑戦してみてください。

卒業した子どもが私を尋ねてきた。
正方形の折り紙を3等分する方法を教えてもらった(図のウオが、一辺の3分の1になる)のだが「なぜ、それでいいのだろうか」と聞く。
問題の図
多くの子どもは、折り紙の3等分の折り方を教えてもらえば、その方法を知って満足する。
しかし、この子は、その一歩先に「なぜ」を自らの問いとした。それがとってもいい。方法を教えてもらって、それが出来ればいいとするのと、不思議を感じて問いを持つのとでは大きな違いがある。
学校の授業では、この前者を多く行ってきた。筆算の仕方をただ教えるというのがいい例だ。「なぜその方法でいいのか」を問いとすることは子どもには難しすぎると考え、そこを授業の舞台にのせないでいた。
物静かに考えている子どもの目や、つぶやきの中に「なぜ?」と問う声にならない声を引っ張りだして授業を展開したいものである。
ちょうど読んでいた本の中にいい言葉を見つけた。法隆寺棟梁であった西岡常一氏の『木のいのち木のこころ 天』(草思社、新潮社)である。氏が弟子を「育てる」ということを話す場面である。
「私たち大工は弟子たちに規矩木割りということを教えますけれど、これが一通りのことやないんです。飛鳥の木割り、白鳳、天平…。弟子はいろんな反応をするんです。物覚えのいい人は教えたとおりに丸暗記してしまいます。物覚えは悪うないんでしょうが、得心のいかん人がいますな。すぐには覚えられんのですな。…自分でたしかめに行きますな。実際に見ないと納得がいかんのですな。…丸暗記したほうが早く、世話はないんですが、なぜと考える人を育てるほうが大工としてはいいんです。丸暗記してもろうても後がありませんわな。…丸暗記するだけでは新しいものに向かっていけません。ですから物覚えがいいということだけでは、その人をうまく育てたことにはなりません。丸暗記には根がありませんのや。根がちゃんとしてなくては木が育ちませんな。根さえしっかりしていたら、そこが岩だろうが、風の強いところだろうが、やっていけますわ。何でも木にたとえてしまいますが、人でも木でも育てるということは似ているんでしょうな。…」
私を尋ねてきた子には証明のヒントを出しておいた。この子は、なんとか自分の力で証明すると前向きになって帰っていった。

※証明のPDFはこちらからダウンロードしてください。